けいはんなマラソンセミナー 人間. 生物. 時間   主催:京都大学人文科学研究所教授 横山俊夫 

    第8回研究記録抜粋  

    中島修一氏(画家)『体外離脱の世界』      

司会:関西大学教授  三浦国雄

    前文省略
    
   

Q:今もこの世の外が見えるのか?
A:今は離脱体験は頻度が少なくなってもう殆どない。でも今は夢自体が鮮烈。夢のことは、自分の身体を実験台にしてライフワークとして研究していこうと思っている。最近面白いことがわかったのは、ニュージーランドに1ヶ月位行った時に、ずっとアウトドアで、テントを持っていってレンタカーを借りて自分の好きな所にテントを張って、という生活をしていた。何もすることがないという生活をずっと続けていたら、夢で見る世界の方が現実世界に近くなった。夢の中で仕事をしたり、起きているときは夢みたい、と逆転してしまっている。夢との境界線が曖昧になってきている。

Q:曖昧さというのは日常的に起こるのか?今でもそういう感覚はあるのか?
A:ある。最近思うのは、起きていても仕事や、誰かとコミュニケーションしていてそちらに意識を集中している時などは、現実世界で自分がそういうモードになっているのだが、その他の時は少し曖昧だ。他の世界に自分が行っているというのがある。デザインの仕事をしているが、あっちの世界とこっちの世界の両側を行ったり来たりして作業しているような感じだ。
    

Q:寝ている方が、インスピレーションを与えられるということか?
A:そうではなく、宿題を持って夢の世界に行く。
    

Q:夢の中で答えが出てくるということか?
A:テーマみたいなものを与えられ、理解したら、それをリュックサックに入れて夢の世界に旅立つという感じだ。そして、夢の世界で色々しているうちに閃いて、それをこちらに持ち帰ってきてから作るというような作業だ。
    

Q:今の言い方だと、とてもコントロールしてらっしゃるようだが?
A:コントロールはある程度できるようになってきている。離脱体験はこの頃は、もう起こらないので、コントロールすらあまりしないが、一時はしていた。
    

Q:今日は行こうというような?
A:今日は行こうというのもできた。具体的にどういうふうにするかというと、睡眠し過ぎる。過度の睡眠をとると、幽体離脱が起きやすかった。
    

Q:自分で自分が見られるのか?
A:もちろんその段階はある。例えば、自分が寝ているのを寝てる部屋の窓から見たりとか。ただ、僕の場合は自分が見えるとか、そういう段階はもう超えてしまっ
ている。いきなり時空を超えてしまって、それも過去へ行くのか未来にいくかわからない。
    

Q:その時見た世界というのは、宇宙の果てから地獄まで、まとまった体系として矛盾無く記述できるのか?
A:自分の中ではだんだんまとまってきている。自分の垣間見たものの中に謎も多く存在したが、その答えも見つかってきている。
   

Q:夢ではなくて、ある意味では本当にある世界としてあるのか?
A:実感としてある。宗教で教えられたりするのではなく、実感が伴なっている。
    

Q:夢の中で、未来を予知したりした経験はあるか?
A:ここに以前に来たことがあるとか、それは誰にでもあると思う。それは、予知ですね。夢の中で先に見ていたのと現実で今一致しているということは、夢で未来のことを見ていたということになる。
    

Q:既視感のことをおっしゃっているのではないか?
A:自分の夢の中に見たことが現実の世界に現れてくるというようなことを、願望の達成というもので証明しようと思って、自分がまずプロジェクトを決めて、自分がこうだと思ったらそれを願望の中に織り込んで、夢で見る。すると、それがちゃんと現実になってくるというのは、面白いように生じる。それも、びっくりするような角度からそうなってきたりする。
    

Q:見たい夢をみることはできるか?
A:それは、願望の達成の場合は、正確には夢ではなくて起きている時に夢想する。寝入りばなに鮮烈に夢想するというのは、イマジネーションというものだから、誰にでもできると思う。夢の中で見た夢のもう一回続きが見たいというようなものは、見られる時もある。どうやって見たらいいかと言うと、放っておいても何回も繰り返し夢にでてくるシーン、例えば子供の時に住んでいた家などをベースにストーリーを組むと見られる。
    

Q:飛んでいる時は、テレビの画面を見ているような状態なのか?目をつぶってそこへ行っているのか?
A:目玉だけの存在になっているようなもの。これを魂の目と名付けている。その視覚は一つだけではなく、マルチビジョンになっている。
    

Q:どこでも見えるが、それをやっている自分が見えない、というのが最も難しいことだという話しを、いっぱい訓練をしてやっている人達から聞いたが。
A:寝ている自分という、実体のない自分は見ない。
    

Q:でも、見ようとすると破れるのではないか?やってみると、無限退行に陥って、やってる自分をず-っと見ている。で、破綻を来して、でも破綻は許されないから、ぱ-んと破れる。自分というのを見ようとするのだが、それをやると、やってる自分をまた見ないといけなくなる。くるくる回って無限退行に陥るというのは、どうしても意識をぱっぱっと移すのだが、移せない。宇宙へ行っているうちは、自分は宇宙に行っているという意味で存在できる。最もやばいのは、夢の中で矛盾を全部解消できない。
A:そういう局面に、不安や危機感を感じたことはない。意識する必要性が、自分の中に存在しない。
    
 

Q:何故絵に描きたいと思うのか?完全に納得した世界で構成されていれば、別に描かなくていいと思うのだが。
A:もう一回追体験したいのでは。
     

Q:それは夢の世界にやられているというか、夢の世界は夢の世界で閉じてない。閉じていたら完全な世界は構成できないのではないか。またそこでは、こちらとあちらが分離され得ない、どうしても鮮烈になれば、忘れてもいいと思う人なら、ただの夢としていい加減に放っておけるのだが、印象が綺麗になってくればくる程、どこかにこちらの世界にフィードバックしないといけないような法則が働くのではないか。
A:夢の種類の中で、表層面で見てる夢は、いちいち絵に描かない。自分の琴線に触れた夢だけをスケッチブックに取り込む。例えば、旅行をしていて、通り過ぎてゆく景色を全部写真に撮ったりせず、気に入った所だけを撮るような感じだ。
     

Q:こういう特殊な経験は誰でもできることではないと思う。こういう才能を与えられた理由みたいなものがあると思うか?
A:あると思う。それがなかったら面白い体験というだけで終わる。それを、ずっと考えていて、答えは見つかっている。考えは飛躍するかもしれないが、僕は地球環境のためだと思っている。魂の離脱とか、本来は肉体と魂というものは、完全に密接しているから離脱する時は死ぬ時なのだ。生前に離脱する必要もないのに何故僕みたいな人間に離脱現象が起きて、魂の真実みたいなものを垣間見させているのか、というのは、霊性の目覚めのためなのだと思う。何が大事で何がどうか、自分自身には嘘はつけない。今のような渾沌とした世の中というのは、法律などでいくらやってもだめだ。霊性というか神性みたいなものが各人の中に芽生たら全部OKになるはずだ。いろいろな問題で地球が汚染されてきている。みんな様々な知識をもっているが、いろいろな問題が絡み合ってなかなか解決できない。魂に目覚めるということが解決する鍵だと思う。個々の人間が魂に目覚めたら、全てOKになると思う。
      

Q:魂に目覚めるというのは、誰か超越者が中島さんにそういう命令をくだしているという関係なのか?
A:わからない。自然の突然変異かなにかだと思う。
      

Q:みんなが目覚めるには、いろいろな手続きがいるだろう。
A:僕は、しがない画家なので、できることというと、変てこな絵を描いて、みんなに「何なんや?この絵は!」と言わすことぐらいだろうと思う。僕が感じた不思議な気持ちを絵で表すことによって、みんなに疑問というかショックというか、これは何なんだろうという感覚を与える、それぐらいしかできないだろう。
      

Q:実際ああいう非常に強い色なのか?
A:強烈な神秘体験のときは色も強烈です。自分のテクニックのせいもあって、もう少しプリズムのなかで偏光した感じに表したいのだが、まだそういうのは描けない。ぼかして変わっていく映像があったが、ああいう感じにすごく近い。神秘体験にでてくるビジュアル世界というのは、静止画ではなく常に動いているので、僕は一瞬のここだというシーンを記念撮影みたいに切り取っているから、割と鮮やかにはっきり描いているが、実はああいうふうに、ぐにゃ-っとどんどん色々な物が混ざって変わっていくという方が近い。
       

Q:特に、最初は恐いと感じなかったか?私だったらあんな所に突然巻き込まれたら、絶対恐いと思った。
A:最初は恐かった。今まで聞いたのでは、大抵の人が、この絵を見た第一印象として、恐いと言う。おどろおどろしい絵だとか。何故かなと思う。僕は今は気持ちいいと思っているから。神秘体験というと、あの世の世界と繋がっていて、それは死後の世界ということになるから、恐いというのは確かにあると思う。漠然とした、本能的な恐怖というか。
       

Q:恐さというのは、最初はその世界へ行く前も恐いし、世界そのものも恐かったということだろう。行ってしまってからは、別に恐くはなくなったのか?
A:どうなるのだろうという恐さはあったが、それは慣れればだんだん大丈夫なんだという確信に変わった。
       

Q:中島さんの場合、絵を描きだしたのは離脱体験の後か?
A:絵は子供の頃から描いている。粘土とか図画工作の世界は子供の頃からやっている。絵を描くのが好きだから表現方法が絵になったのだと思う。子供の頃に描いていた絵がどんな絵だったのか覚えているが、今描いている絵と流れは変わらない。子供の頃から透けた絵をかくのが好きだった。ロボットの絵を描いても、ロボットの表面ではなく中身を描いていた。
       

Q:子供はよくそういう絵を描くという定説がある。中と外を両方、まるで全部を触るように描くとよくいわれる。
A:内臓とか骨格とか、そういうものをよく描いた。描く絵は子供の頃からとてもシュールだった。
       

Q:こういう世界を体験されてから、死の恐怖とかは無くなったか?
A:もう全然無い。
       

Q:つまり死んでもあの世界に行けるという、、、?
A:死の恐怖というよりは、病気などに対する恐怖がある。それは、病気に対してであって死ぬからではない。病気の恐怖は逆に、死ねないから恐怖になる。
       

Q:死の恐怖がなくなったということは、死んでも自分の魂が続いていくというのがあるからか?
A:死んだら行く所は見えてる。あそこに行くだけ、というか、ああいうふうになると確信めいたものがあるので全然恐くはない。死んだら、ああいう世界に行くといっても、行けない人もいる。それは、執着があるからなのだが死んだことに気がつくということがとても大事である。どんなシチュエーションで死んだとしても決して生をひきずってはいけないということをこの世の中で悟る、完全に実感として自分で確信しておく。そのことが、凄く大切だと思う。
       

Q:言われているような世界観を舞踏で表現している人を知っている。
A:その方は自分の垣間見たことを表現するのに舞踏という手段を使って、ある人は音楽で、またある人は、文章でその世界を表す。それらの創作物と出会えた時、僕はすごく共感し、魂が打ち震えるのを感じることができる。

                           1996 3.13 関西文化学術研究都市にて

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