「講演」  --- 扉の向こうの時間へ ---

                    
   主催/(株)けいはんな(財)関西文化学術研究都市推薦機構
  会場/けいはんなプラザメインホール
  日時/1997.11.1
 
  出演者
  深井晃子   (財)京都服飾文化研究財団
  鏡リュウジ   占星術家 
  中島修一    画家
  等々力政彦   ホーメイ演奏家
  小長谷有紀   国立民俗学博物館
  田中雅一    京都大学人文科学研究所
  四方哲也    大阪大学大学院工学研究所
  横山俊夫    京都大学人文科学研究所
  

 

  
 

講演記録抜粋   ---あの世の時間---  中島修一   司会:四方哲也

四方氏
どうもありがとうございました。四方です。
長い紹介の後、短く紹介をします。そもそもあの世の時間なんてものは開けたくありません。ですが、中島さんどうぞ。しょうがなく開けますけども、出てこられた中島さんはなかなかかっこいいジェントルマン風でありますが、僕の知ってる範囲では、あの世とこの世を行き来することを生業にしている怪しい方です。僕は自分のことは一応まともだと思っていますので、あの世の方の紹介なんてのはそもそも怪しくてようせんと思いますので、あえて難しい紹介はしません。今日は、彼が見ているあの世の世界の時間と空間の話しをしてくれるんだと思ってます。もしかしたら、僕らもいつかはあの世に行かなきゃいけないと思うので、その中で見えてくるものが先程言われていた「癒し」とかそういうものに関係していたら、また、見た時になにか共感出来るものが我々の中にあったら僕らもなかなか怪しいということじゃないかなと思っております。それでは、よろしくお願いします。


中島氏
こんにちは、中島です。僕は絵を描いているんですけれども、それが別に美術とか芸術とかと思って描いているのではなくて、自分自身の身に起きた神秘的な体験というのがありまして、その体験が自分で気持ちよくて、それを絵日記みたいにずっとつけていたのです。それを描きためてきたのが自分の作品となって、それが自分の作風ともなったといいますか。だから美術とかそういうものではなくて、子供がいろんなところに旅行したり、いろんな体験をしたこと、印象に残ったことを絵日記につけたりするのと同じ感覚で描いているということなんです。それらの神秘的な体験の中から啓示みたいなのがいっぱい出るんです。その中で教えられることもいっぱいあるんです。しかし今日はまず、今まで描いてきたものを元に作ったビデオがありますので、それを見ていただけたらと思います。

ビデオ

中島氏
今のような感じなんですけど、僕が自分の体験から一言で言えば、向こうの世界から持ち帰った情報といいますか、それはいっぱいあるので何からしゃべっていいかなかなかわからないんです。あの世といったらどんな感じかなとみんな思うと思うんですが、僕の体験からなんとなく思うのは、あの世というのは別にこの世と変わらないというような気がします。この世とあの世というのは、夜寝て夢を見て朝起きるというのと全然変わらないというか、毎日あの世のシュミレーションを日常行っているような感覚で僕は生きているので、まったくそんな感じなんですよ。この世の中でみんな仕事をしたり人生いろいろに生きますけれども、ある時僕が思ったのは、この世の中で苦労したりいろいろやって生きているのは何をしているのかといえば、飯を食うためじゃなくてあの世に生まれるための修行をしているのだということに気付いたんです。先生方は、僕の体験を語ると、それは体外離脱という現象と一致すると言われるんですけど、皆さんの中にもそういうような体験とよく似た、同じような体験をされている方もたくさんおられると思うのです。例えば、俗にいう「金縛り」とかそういうものというのは、殆ど体外離脱の一歩手前といいますか、そのまま自分を離脱してしまうかそれともその前でまだ肉体に縛られているかというだけなのです。それをどうすれば体外離脱に結び付けられるか?というのを自分で自分の身体を実験台にしながらだんだんそのノウハウも分かってきて、そんな研究をしてるんです。一つ自分の体外離脱、神秘体験といいますか、それがどんな体験であったかというのをお話します。

ある時寝ていましたら、変な音が聞こえてきたんですよ。それは、「ヒュンヒュンヒュン」というような音なんです。片方の耳から入って脳を振動させてこっちの耳に抜けていくような感じなんですが、耳鳴りではなくて言葉でいうなら脳鳴りというか、脳が鳴ってるような感じなんです。気持ち悪いんですけど、その時同時に非常に眠たかったのでどうしようもなくてそのままほったらかしていると、その音がどんどん継続音に変わっていったんです。「ヒュンヒュンヒュン」というのがだんだん速くなって「ヒューン」という継続音に変わった途端に、全身が俗にいう金縛り状態になって、すごく細かく震えてるんですね。その瞬間に背骨の辺りから後頭部へかけてズボッと抜けたような感覚がしたのです。それで、「抜けた-」と思って、そしたらもう自分はそこにいないんですね。どこに行ったかというと、なにか遺跡みたいな所、高台にある廃虚みたいな所に座っているんです。その廃虚みたいなところに座ってたら、隣に小さい子供みたいなのがいてまして、その子供がものすごく可愛い子供でね、ちっちゃいちっちゃい3つか4つぐらいの子供かな。その子供が僕の手を引っ張って指差すんです。その崖から下を見たら下に道があって、その道が高い険しい山に囲まれてずっと続いていて、それで向こうの彼方に、また、とがった凄い山が見えるんです。その山のてっぺんを見たら、山のてっぺんがレンズ雲というのかな、そんな感じの雲が幾層にも重なってて、上の方がすごく眩しく光ってるんです。その子供が僕の手を引っ張ってその道に下りて行って、一緒に歩いていこうというんですよ。その道を一緒に歩いて行くと、その子供が、「あの山のあそこにまっすぐ行かなあかんよ。」って何度も言うんですよ。「うん、わかった。」と言ってまっすぐ歩いて行くんですけど、ふと見るともうその子供はいなくて、一生懸命あの光ってるあそこに行きたいとほんとに本心からそういう気持ちはあるんだけど、ふっと横を見ると道の脇に脇道がいっぱいあるんです。まっすぐ、こう歩いているんだけど、ふっと横を見ると魅惑的な世界、いろいろな、もう考えられる限りの世界がそこに展開してましてね。例えば、物欲の世界とか。一番強いのがやはり性欲の世界。そういうような世界、名誉欲とか、成功欲とか、それがただ平面的に見えるとかじゃなくて、その見るというか何というか、意識するとその世界に入るんですよ。そういうものがいっぱいあって、あまりに魅力的だからついついよそ見するんですね。
 僕は、歩いていて、ふとしたことからすごい性欲の世界というかエッチな世界がバーッとこっちに展開してて思わずそっちに行ってしまったんです。そのエッチな世界に入り込んだら、やっぱりそこは素晴らしい世界というか、こんな世界があったのかというような性のパラダイスなんですよ。そこで、しばらくその世界に浸るわけです。浸ったけれど、その時に声というか、啓示みたいなのが聞こえてきて、別に誰もその世界から出て行けと言わないし、その世界にいても別に傷つきもしないし、いたいだけ留まればいいというようなことがわかってるんですね。ところが、そこの世界を満喫している時に、もうその時、時間的感覚とかはないんですね。とりあえず、酒池肉林と言いますかそういう世界を満喫してるんですよ。その時に、ある時ふっと思い出すんです。向こうに光ってた山の光りというものを思い出す時があるんですよ。で、思い出した時に、「そうだ、今、ここに居るのはすごく気持ちいいけれども、あそこに光ってるあれを見た時に感じた感覚というものは、もっとこれよりもすごい魅惑
というか、もっと自分を惹き付けるものだった」ということを、ある時思い出すんです。それを思い出した途端に上を見上げたら、光りの窓みたいなものが、竜巻きの逆みたいなものがあったんですよ。そこに集中すると、すごい上昇感を伴って、そこから引き上げられていったのです。引き上げられて行って、その引き上げられて行く自分というのも、その光りのパイプを通って行く自分というのも第三者の目で見てるし、そこを引き上げられて行く自分自身の感覚もあるし、二つ以上の視覚がいろんな角度からあるんですね。そして、引き上げられてそれが何処に通じているかというと、初めに見た山の頂きの方に飛んで行ってるんですよ。そこにつながったら、今度は、山の真ん中をエレベーターみたいに急上昇して行くんです。また、俯瞰というか、別の視覚で見るとその山自体が人間の形をしているんです。自分の集中力が落ちるとその光りのエレベーターの上昇スピードも落ちるんですけど、集中を高めるとどんどん上がって行くんです。でも、次第に集中が途切れてとうとう止まってしまう。その止まった所が、咽の部分だったんですよ。人間の身体でいう。その咽の部分にあたる階層に下りて歩き出すんですね。霧みたいなのに包まれて、その霧をかきわけながら歩きだしたら、昔のあぜ道、田んぼみたいなのがある昔の田舎町みたいな所に出たんですよ。みんな農作業とかしてたと思うんですが、会ったこともないし、見たこともない顔なんだけれど、すごく懐かしい気がする人々が歩いていて、みんな挨拶してくれるんです。「よう帰ってきたな-」という感じで。自分もやっと帰ってきたという凄く嬉しい気持ちなんです、そこの世界にいることが。ウキウキしてたら、また、今度は足元から霧が濃くなってきて見えなくなって「ああ、ここにいてたい」と思ったんだけど、その一瞬後には、元の自分に戻ってたんです。
 そういうのが具体的な体験の一つなんですけれど、もしかしたら皆さんの中にもよく似た体験をされた方はきっとあると思います。僕は、このような状態で見た景色の中で印象深かったものを絵にしているのです。

四方氏
 どうもありがとうございました。少なくとも僕が見た感じでは、なにか自分が怪しいのかわかりませんが、それを認めたくないという気持ちも半分あるんですが、どう見ても共感を覚えるような景色、少なくとも絵を見ていますと、僕も見たことあるよなとついつい思ってしまうものが何枚もでてきたと思います。皆さん如何でしたでしょうか?実は、僕も体外離脱、僕は彼みたいにもともと出来るわけじゃなくてトレーニングで出来るようになったんですが、全然レベルが違うので、僕の場合はだいたいこの辺(と言いつつ肩を指す)から出るんですけど、出て行って自分を見た途端に破れてしまうとかですね。変なのは、体外離脱しているのに、ガラスの窓一枚あるとそこから出られないとかいって現実に縛られているというちゃちなやつなんですが、そういうのをしてる時に見る世界、特に体外離脱している時に夢に近付いて来ると、彼が見せてくれた絵にすごく近いものを見るような気がします。数年前にNHKでやった臨死体験の番組があったと思うんですが、その時にも多分似たような絵がでてきたんじゃないかなという気がして、どうして我々はああいうものを見てしまうのかというのが何か疑問なんです。そのあたりは、如何でしょうか?

 中島氏
 無意識の領域というか、人それぞれの国民性とか見てきた世界とかでその像は大きく変化すると思うんですよ。例えば、同じものを見ても中華風に見えたりヨーロッパ風に見えたりとか、その世界というのはすごく変化すると思う。しかし、ベースになっているバイブレーション、結バイブレーションみたいなものがあって、電波みたいなもの、それを脳というか、目、レンズじゃなくて何か意識みたいなものが直接受像するようなメカニズムになっているような気がするんですよ。だからその受像するための感受性みたいなもので、もし自分が美しいものを鑑賞する目がないとか、美というものにたいする感性が低かったりしたらやはり美しいものは見えないと思うんですね。みんな人生において、美しいものを見たいとか、そういうものに触れたいと思うのは、魂から来ている自然な要求であって、生きている間に美的センスみたいなものを磨くことによって、あの世の自分の世界というものを構築できると知っているからではないかと思うんです。

 四方氏
 それは、この世はあの世のトレーニングということですか?

 中島氏
 そうです。

 四方氏
 そういう意味でしていいのかわかりませんが、会場の方から何かありますでしょうか?

 質問
 体外離脱は、どうすれば出来るのですか?

 四方氏
 僕に質問ですか?まずは、中島さんはどういうふうに出来るように........

 中島氏
 いろんな方法があるんですけど、やはり危険を伴ったりもするので、一概に一般的に言ってしまっては、ちょっと危険です。ただ敢えて簡単に言えば寝過ぎるというのが一つの方法。とりあえず、朝起きる時に夢を見ていて、目覚まし時計とかでいきなり夢から覚めることがあるでしょ。夢の世界がまだあって、現実の世界に戻るまでに絶対グラデーションの部分があるでしょ。毎日、一日に2回あるはずなんですよ。眠りに入る時に「フーッ」となるまどろみというのがあるでしょ。朝のまどろみと夜のまどろみと2回あるんだけど、そのまどろみの時に目覚まし時計とかそういうもので「ブチッ」とそのまどろみを切ったらだめなんです。
まず、そういう目覚め方をしていたら、体外離脱的なことは絶対起きない、というか起きてもその世界に集中できないんです。だから、目覚めというものを自然な目覚めに持っていくということと、寝入りばなも静かに心安らかに眠るということが一つなんですけど。それとあとは、もし体外離脱的な体験をちょっとでもしたいなと思ったら、積極的にそれに持っていくには、寝過ぎるということで、だいたい夜10時間位は寝て、起きたら御飯食べて、まただらだらと2度寝する。昼御飯食べて昼寝して3時におやつ食べて眠たくなってまた寝るんですよ。寝過ぎたのにまだ寝る。もう寝たくないのに寝るくらいにするんですよ。そしたらなります。まず、自分の肉体と幽体?がずれるという現象が起きるんですよ。そのずれるっていうのは、例えばちょっと寒くなってきたので毛布をかけようというような感じありますよね、寝ていて。で、かけたつもりなのにかかっていないというような現象が自覚できるようになります。そういうずれみたいなものが、初め起きるんです。それが起きたらちょっとしめたものなんです。もう起きようと思って上体を起こすんだけれども、起きたつもりなのにやっぱり起きていないという。幽体と肉体のずれは、そういう感じで知覚できます。ずれてしまって元にはもどれないのではと不安に思う方がいらしゃるかもしれませんが、多分大丈夫です。僕の場合、百万光年彼方に行っても一瞬で帰ってきます。それが帰ってこれなかったら「死」ということでしょうね。

 

質問者
 関西に体外離脱研究会か何かありませんでしょうか?体外離脱したことによって、宗教的な何かが目覚めるというのがすごくあると思うんですね。時空もやっぱり超えると思うんですよ。何か一人ずつ体外離脱と孤独なものがあると思うんですね。周囲の理解がないとか、「何、変なこと言ってるのん」みたいな感じでね。もし、そういうサークルでもありましたら、どうぞ、御紹介ください。

 中島氏
 おっしゃる通りです。ほんとですね。体外離脱。ただ、あんな世界が見えたとか、すごい面白い体験やったと言ってるだけでは仕方ないんですよ、はっきり言って。でも、人間誰でも体外離脱は1回はするわけでしょ、死ぬ時に。なんで生きてる間に僕みたいな人間にそんなこと起きて、そういういろんな啓示が与えられるかという理由があるべきなんです。その理由というのは、僕は今世の中が物質にかたよりすぎているからだと思うんです。政治とか法律とかに無力感を感じます。人に対する思いやりの希薄さとか自分さえよければそれでいいというような感じ、それは、絶対法律で決めても駄目だと思います。それを、体外離脱した人は分かると思うんです。霊性に目覚めるというか、それが目覚めない限り世の中なんて良くならないと思います。だから、体外離脱の真髄、何故起きているのかというのは、僕はそこだと思うんです。でないと意味が無いと思います。死んで結局何度も生まれ変わってきてだんだん良い人間になるとします、でも今、早くしないと時間が無いんですよ、そんな何回も生まれ変わっているような。そんな悠長なこと言ってられないから、生きてるうちに何回も生まれ変わって。体外離脱というのは、死の疑似体験ですからね。一回死んで、見てきて帰ってきたという死の情報みたいなものをちょっと得られるわけなんです。わずかながらも。だから、生きて何回も体外離脱することによって、それを一種の修行ととらえ、自分自身で真面目に受け取って、その受けた啓示というものを自分なりに人生において勉強していく姿勢が大事だと思うんです。そういう神秘的な体験、それでいて崇高な知的体験をした人でないとわからない世界というのはあると思うんです。だから、おっしゃっていることはよく分かるし、そういうのをほんとにオカルト的ではなく研究していくというのは大事だと考えています。僕の知る範囲ではそういう趣旨での体外離脱をとらえた研究サークルはいまのところ無いと思います。


 質問者
 そのために作ってもらいたいと思います。

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